日本の地名がついたカクテルの登場!
横浜といえば日本におけるバー文化発祥の地と言われている場所だ。
まずはレシピを見てみよう。
材料
ドライジン 20ml
ウォッカ 10ml
オレンジジュース 10ml
グレナデンシロップ 10ml
アブサン(パスティス)1ダッシュ
これらを全てシェイクして、カクテルグラスに注ぐ。
お好みでマラスキーノチェリーを飾る。(よくアイスやパフェなどの添え物として使われる砂糖漬けされた甘いチェリーだね!)
こちらのカクテルは、世界最古のカクテルレシピブック『The Savoy Cocktail Book(サヴォイカクテルブック)』にものっており、
世界中で知られているスタンダードカクテルの中のひとつなのだ。
しかしこのカクテルの成り立ちについて分かっている事はあまりにも少ない。
誰が考案したものなのか、どういう経緯でできたのか。。。
わかっている事といえば、
「外国客船の中のバーで生まれた」という事(という説が有力)と、
サヴォイカクテルブックが世に出された1930年には登場していた、ということ。
1853年にペリーが浦賀に来航し1859年から横浜、長崎函館の3港で貿易が始まる。
時は流れ、新しい時代の幕開け。
明治時代になると、横浜は港町として更に発展していく。
外国からは鉄道や医学など新しい文化や技術が入ってくる様になり、水道、ガス、電灯のようなインフラが整う。
横浜は日本の新しい文化の窓口になったのだ。
この辺りから、開国直後に造られた波止場に加えて桟橋ができ、港としてしっかり整えられる。
大型船も停ることができるようになったのだ。
日本で1番最初にできたバーは横浜港付近と言われているが(そのバーのオープンは1860年)、船員相手にした酒場やホテルのバーが発展して、それにあわせて横浜も様々な人が入ってきて発展していったのだ。
カクテル『ヨコハマ』ができたであろう当時の日本の時代背景はこんな感じ。
先に、「YOKOHAMA」というカクテルは「豪華客船の中のバーで生まれた」説が有力であると書いたが、
私の想像は
「横浜の発展と開発の波に乗って酒場を開いたバー初心者がこのカクテルを考案した」
である。
「乗るしかない このビッグウェーブに」
と言わんばかりに、まだまだバーテンダーの技術として未熟だった日本人が、
とにかく手に入ったアルコールを元にして見様見真似でつくったお酒だったのではないか?
ジンはいつ日本に入ってきたのかはハッキリとした記録は無いが、江戸時代には伝わってきていたのでは?ということが確認されている。
そして、明治時代には「ミリオンダラー」というジンベースのカクテルが同じタイミングで横浜で考案されているのだ。
ウォッカについては詳細は確認できなかったのだが、これだけ各国から横浜にたくさんの人が流れ込んできている時代なので、ウォッカも海外から流れ込んできていたという想像がつく。
アブサンもまたしかり。(ちなみにこの頃1900年前半からヨーロッパを中心にアブサンの製造販売が禁止される流れになるのだが、日本は禁止にはなっていない。アブサンの代わりにパスティスが使われることもあったようだ)ちなみに日本初のアブサン「サントリー ヘルメス」は1960年代になってから。
日々進む横浜周辺の工事、たくさんの人の流れ、新しい文化
そして港の方を見れば美しい夕焼けが見える。
夕焼けに見立てた様な、美しいオレンジ色の「YOKOHAMA」を見ると、
これから来たる、もっともっと賑やかで華やかな時(BARタイム、そして横浜の発展)への期待と願いを込めてつくったのかも。。。知れない。。
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